李氏朝鮮(1392年 - 1910年)末期の1832年イギリスが通商を求めに現れ、1840年頃から欧州船が近海に頻繁に出没するようになった。19世紀頃朝鮮では勢道政治(王の外戚による政治)が行われていた。1863年から李朝第26代高宗(在位1863年 - 1907年)の父で摂政の大院君による政権時代、迫り来る帝国主義列強を排除する政策をとっていた。
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1866年ジェネラル・シャーマン号事件(対アメリカ)、丙寅洋擾(対フランス)、1868年日本(明治政府)からの国書(明治政府の樹立宣言、王政復古の通告)の受け取りを拒否する、1871年辛未洋擾(対アメリカ)、など、海禁政策をとった(鎖国攘夷策)。
1873年朝鮮政府の実権は閔妃(1851年 - 1895年、高宗の妃)一族に移った。
こうした中で1875年江華島事件(雲楊号事件)が起こる。日本政府が示威で江華島沖に送った軍艦雲揚から出た小船に江華島の砲台から発砲、雲揚が「応戦」した事件である。雲揚が許可なく朝鮮の領海を侵犯したので、これを排除しようとしたものである。しかし日本政府はこれを口実として砲艦外交を押し出し、1876年江華島条約(日朝修好条規)が結ばれる。釜山・元山・仁川の3港を開港、ソウルに日本公使館を開設した。これは中国がイギリスと結んだ南京条約(1842年)、日本がアメリカと結んだ日米修好通商条約(1858年)と同様、治外法権の認定など、結ばされた側にとっての不平等条約であった。続いて1882年に米朝修好通商条約を締結し、さらにイギリス・ドイツ・ロシア・フランスとも同様の条約を結んだ。これによって朝鮮は、帝国主義が渦巻く世界へ開国していくことになった。
一方、江華島条約の第1条には「朝鮮は自主独立の国であり、日本と平等な権利を有する」とあり、朝鮮は従来もっていた華夷秩序との葛藤が起こっていく。
華夷秩序:中国を中心とした東アジアにおける秩序。冊封体制。東アジア(朝鮮・日本を含む中国の周囲の諸国)では近代の開国前後、万国公法という概念との葛藤を経験することになる。