2009年06月18日

臨床心理士は、文部科学省認可の財団法人

「臨床心理士」(りんしょうしんりし)は、文部科学省認可の財団法人「日本臨床心理士資格認定協会」が認定する民間資格。

臨床心理学を学問的基盤に、心の問題の援助・解決・研究に貢献する専門家として認定する資格である。心理療法家・カウンセラーの資格には、国家資格が存在しない一方、民間の認定資格は多数存在する。その中で臨床心理士は、現在最も知名度の高いものである。公立学校スクールカウンセラーの資格要件になっていたり、医療機関でも臨床心理士を資格要件としているところが多い。
ライフセービング
信用取引
バドミントン
インフルエンザ脳症
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ご当地群馬情報
ボクサー情報
日本の正月
ご当地鹿児島
花木・庭木の気持ち
ご当地山梨
フルーツ王国
ご当地静岡
番茶百科
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養成に関しては心理系大学院の修士課程を卒業する事が必須であり、その後、臨床心理士の資格試験を受け、それに合格すると臨床心理士の資格を取得できる。(最近では九州大学等で専門職大学院が設立されている。詳しくは下記参照)大学院には、カリキュラムや訓練課程が充実し、卒業後の資格試験に合格すると資格取得できる第一種指定校と、卒業後、数年の実習が必要になる第二種指定の大学院がある。

臨床心理学の専門性と資格をめぐる1970年代の論争を経て、日本臨床心理学会を離脱したメンバーが中心となって立ち上げた日本心理臨床学会が事実上の母体となっている。

心の癒しを求める社会風潮や少子化に悩む大学のニーズを背景に資格者数を拡大して社会的認知を勝ち得る一方で、指定大学院制の導入に伴う資格認定協会の大学院カリキュラムへの介入、有資格者の技術水準のばらつきと常勤職への就職難、心理学諸学会や民間団体による認定資格の乱立といった問題が指摘されている。特に大学院カリキュラムへの介入に関しては、指定大学院制度の導入に伴って臨床心理士が他分野の研究者の常勤ポストを相当数奪ったので、他分野における臨床心理士への心証は決して良いものではない。

1995年に文部省研究事業として始まったスクールカウンセラー(SC)事業は、臨床心理士と精神科医等が行うとされていたが、事実上臨床心理士の独占であった。2001年に制度化され、現在全公立中学校にスクールカウンセラーが配置されることになり、配置基準も緩められている。しかし、首都圏では臨床心理士の独占が続いている。この事業によって、臨床心理士の認知度が高まった。

同年(1995年)の阪神・淡路大震災の際、臨床心理士が現場に赴きさまざまな活動を行ったことも臨床心理士が認知される契機となった。震災後、兵庫県には兵庫県こころのケアセンターが設立され、精神科医や臨床心理士が診療・心理療法を行っている。以後、大きな災害や事故の際、地方自治体が臨床心理士会に専門家を派遣するよう要請する事が増えた。また、地方自治体によっては、緊急時に学校に派遣できる精神科医・臨床心理士・保健師らで作られた緊急支援チームがある場合もある。

臨床心理職の国家資格化に関する議論が旧厚生省や国会で議論されてきたが、心理士団体と医師団体の調整がつかず、何度も資格化が頓挫している。最近では、2005年に立法化直前まで行ったが、日本医師会、日本精神科病院協会、日本精神神経科診療所協会、日本精神神経学会などの強い反対により、立法化に至らない。

2009年05月31日

朝鮮の開国

李氏朝鮮(1392年 - 1910年)末期の1832年イギリスが通商を求めに現れ、1840年頃から欧州船が近海に頻繁に出没するようになった。19世紀頃朝鮮では勢道政治(王の外戚による政治)が行われていた。1863年から李朝第26代高宗(在位1863年 - 1907年)の父で摂政の大院君による政権時代、迫り来る帝国主義列強を排除する政策をとっていた。
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1866年ジェネラル・シャーマン号事件(対アメリカ)、丙寅洋擾(対フランス)、1868年日本(明治政府)からの国書(明治政府の樹立宣言、王政復古の通告)の受け取りを拒否する、1871年辛未洋擾(対アメリカ)、など、海禁政策をとった(鎖国攘夷策)。

1873年朝鮮政府の実権は閔妃(1851年 - 1895年、高宗の妃)一族に移った。

こうした中で1875年江華島事件(雲楊号事件)が起こる。日本政府が示威で江華島沖に送った軍艦雲揚から出た小船に江華島の砲台から発砲、雲揚が「応戦」した事件である。雲揚が許可なく朝鮮の領海を侵犯したので、これを排除しようとしたものである。しかし日本政府はこれを口実として砲艦外交を押し出し、1876年江華島条約(日朝修好条規)が結ばれる。釜山・元山・仁川の3港を開港、ソウルに日本公使館を開設した。これは中国がイギリスと結んだ南京条約(1842年)、日本がアメリカと結んだ日米修好通商条約(1858年)と同様、治外法権の認定など、結ばされた側にとっての不平等条約であった。続いて1882年に米朝修好通商条約を締結し、さらにイギリス・ドイツ・ロシア・フランスとも同様の条約を結んだ。これによって朝鮮は、帝国主義が渦巻く世界へ開国していくことになった。

一方、江華島条約の第1条には「朝鮮は自主独立の国であり、日本と平等な権利を有する」とあり、朝鮮は従来もっていた華夷秩序との葛藤が起こっていく。

華夷秩序:中国を中心とした東アジアにおける秩序。冊封体制。東アジア(朝鮮・日本を含む中国の周囲の諸国)では近代の開国前後、万国公法という概念との葛藤を経験することになる。

2009年04月28日

反共産党独裁革命

青い革命とは、2005年3月に始まったクウェートにおける女性参政権を求めるデモを指す言葉として、一部のクウェート人の間で用いられている[1]。同年5月、クウェート政府はその要求を受け入れ、2007年の議会選挙において女性に対して投票権を付与することを決定した[2]。ただしこの事例では体制そのものの変革を求めるものではなかったため、色の革命として扱われることはない。

色の革命について、1980年代から1990年代に中・東欧で起こった一連の革命の影響、とくに1989年のプラハでのビロード革命が引き合いに出されることが多い。主にプラハ・カレル大学から集まった学生による暴力を伴わないデモ活動は警察当局に取り締まられたが、やがてチェコスロヴァキアの共産党独裁体制の崩壊につながった。

非暴力的である花のイメージが用いられる由来となった起こりはさらに古く、1970年代中ごろのポルトガルにおけるカーネーション革命まで遡る。

学生運動のさきがけとなったのはセルビアのオトポール! (セルビア語で「抵抗!」の意) で、この団体は1998年にベオグラード大学で設立され、コソヴォ紛争中はミロシェヴィッチに対する抗議運動を展開した。そのメンバーの多くは警察に身柄を拘束され、あるいは取り締まりを受けたが、2000年9月の大統領選挙では「ゴトブジェ」運動を展開し国民のミロシェヴィッチに対する反発をあおり、ミロシェヴィッチを破る結果にいたった。

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オトポール! のメンバーはグルジアのクマラやウクライナのポラ、ベラルーシのジュブル(ベラルーシ語でヨーロッパバイソンの意)、アルバニアのムジャフト!(アルバニア語で「もうたくさんだ!」の意)に対して刺激を与え、また指導を行っている。これらの団体は、自身の行動がジーン・シャープの著書で提唱、解説されている非暴力抵抗となるよう計画を十分に練り、細心の注意を払っている[3]。学生団体によって組織された大規模な抗議活動者はセルビア、グルジア、ウクライナにおける革命の成功には欠かすことのできない要素であり、この群集での色彩や独裁指導者に反発するさいの非難交じりのユーモアは顕著なものであった。

ソロス財団とアメリカの影響
色の革命について、西側の利益を確保するために革命を支援したり、または革命自体を企図しているなどとして、ソロス財団やアメリカ合衆国が非難の対象となることがある。特筆されるものとして、オレンジ革命の後に中央アジアのいくつかの国がジョージ・ソロスが設立したオープン・ソサエティ・インスティテュート (Open Society Institute :OSI) にさまざまな形で圧力を加えている。ウズベキスタンではOSIの支部に対して強制閉鎖が実施されたり、またタジキスタンでは国営メディアによりOSIタジキスタンが汚職や癒着に関与しているとして非難されている[4]。

アメリカ政府の関与を示す証拠として、アメリカ合衆国国際開発庁 (USAID) および国際連合開発計画がFreenetの構築を支援していることがあげられており、Freenetは革命に関連する国の最低でも1国以上でインターネットの大部分を構成しており、例えば実際に色の革命が起こったキルギスではアメリカが支援したFreenetが構築されている。

イギリスの新聞・ガーディアンはUSAID、全米民主主義基金、国際共和協会(IRI)、全米民主国際研究所(NDI)、フリーダム・ハウスの直接の関与を報じている[5]。なおこれらの機関のうちフリーダム・ハウス以外はアメリカ連邦政府予算が拠出されているが、この5つの機関のウェブサイト上ではガーディアンの報道と反する情報が掲載されている

2009年04月12日

ハロウィン

ハロウィン 、あるいはハロウィーン(Halloween, Hallowe'en) は、カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前晩(10月31日)に行われる伝統行事。諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)であることから、Halloweenと呼ばれるようになった。

ケルト人の収穫感謝祭がカトリックに取り入れられたものとされている。由来と歴史的経緯からアングロ・サクソン系諸国で主に行われる行事であって地域性が強く、教会と不可分の行事ではないため、キリスト教の広まる地域であれば必ず祝われるという訳ではない。

ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守る為に仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。601年に法王1世が宣教師にケルト人へキリスト教改宗の策として、「ケルト人の信仰法である木の伐採は行わずに、木の真上にはキリストの神様がいてそのために木を信仰し続けなさい。と広めなさい」と言ったのがいまのハロウィンになったきっかけでもある。

家族の墓地にお参りし、そこで蝋燭をつけるという地方もある。墓地全体が、大きなランタンのように明々と輝く。日本のお盆の迎え火、送り火にも似ているかもしれない。ただ、これに合わせて欧米では、放火事件などが頻発する。

これに因み、31日の夜、カボチャをくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック・オー・ランタン」(お化けカボチャ)を作り、魔女やお化けに仮装した子供達が「トリック・オア・トリート(Trick or treat. お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)」と唱えて近くの家を1軒ずつ訪ねる。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちは貰ったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりする。

仮装とランタン
ハロウィンのテーマは不気味なものや怖ろしいもので、妖精や精霊に限らず、「死」そのものや、不死の怪物、黒魔術、伝承の怪物などが含まれる。ハロウィンで仮装されるものには、幽霊、魔女、コウモリ、黒猫、ゴブリン、バンシー、ゾンビ、魔神、などの民間で伝承されるものや、ドラキュラやフランケンシュタインのような文学作品に登場する怪物が含まれる。ハロウィン前後の時期には、これらのシンボルで家を飾る。

黒とオレンジ色が伝統的なハロウィンの色である。「ジャックランタン」(Jack-o’-lantern)」(お化けカボチャ、カボチャちょうちん)は、オレンジ色のカボチャをくりぬき、刻み目を入れ、内側からろうそくで照らしたもので、最もハロウィンらしいシンボルである。ハロウィンを祝う家庭では、カボチャを刻んで怖い顔や滑稽な顔を作り、悪い霊を怖がらせて追い払うため、ハロウィンの晩、家の戸口の上り段に置く。

ただし、1990年代以降、仮装の対象としてあまり扱われなくなったモチーフも多い。黒人・インディアンなどは人種差別の見地から、妊婦や身体障害者なども同様の見地から好まれないようになった。ひいては、長年ハロウィンの仮装の特徴だった怪物などのおどろおどろしいモチーフすら廃れ、妖精や野菜など愛らしいものが仮装のモチーフに好まれる傾向が見られる。

文化史 [編集]

ケルトのサウィン祭 [編集]
古代ケルトのドルイドの信仰では、新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日のサウィン(Samhain)祭であった。ちょうど短い日が新しい年の始まりを示していたように、日没は新しい日の始まりを意味していた。したがって、この収穫祭は毎年10月31日の夜に始まった。アイルランドと英国のドルイド祭司たちは、火をつけ、作物と動物の犠牲を捧げた。また、ドルイド祭司たちが火のまわりで踊るとともに、太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節が始まった。

11月1日の朝が来ると、ドルイド祭司は、各家庭にこの火から燃えさしを与えた。各家族は、この火を家に持ち帰り、かまどの火を新しくつけて家を暖め、「妖精」(「シー(Sith)」と呼ばれる。女の妖精はバンシーと呼ばれた)などの悪霊が入らないようにする。というのも、1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたからである。

祭典ではかがり火が大きな役割を演じた。村民たちは、屠殺した牛の骨を炎の上に投げ込んだ。(「かがり火」を"bonfire"と呼ぶのは、これらの「骨火」に由来すると思われる) かがり火が燃え上がると、村人たちは他のすべての火を消した。その後、各家族は厳粛にこの共通の炎から炉床に火をつけた。これにより、村の各家族は一つにつながった。アイルランドでは今でも、毎年ハロウィンの夜には何百もの火が点けられている。

新異教主義者(Neopagans)は、今でもハロウィンの日には、世俗的なハロウィンに参加するとともに、サウェン祭を祝っている。

ハロウィンの習慣 [編集]
ハロウィンの習慣は、イングランド南部では17世紀以降、11月5日の火薬陰謀事件の記念日(ガイ・フォークス・デイ)に置き換わり、廃れた。しかしながら、スコットランドおよびイングランド北部においては広く普及したままであった。イングランド南部で、すっかり米国風のハロウィンになったとはいえ、再び普及したのは、この10年間だけである。

アイルランドでは10月最後の月曜が祝日となっており、ハロウィンを祝う習慣が最も純粋な形で残っている。この祝日に続く週は、学期の半ばであるがすべての学校が休みになり、一般にハロウィーン休みと呼ばれる。この結果、アイルランドは、ハロウィンの日に子供の学校がなく、したがって、古代の由緒ある方法で無条件にハロウィンを祝うことのできる唯一の国である。

「トリック・オア・トリート(Trick or Treat)」の習慣は、クリスマスの時期の酒宴 (古い英語で wassailing と呼ばれる) の習慣に似た、soulingと呼ばれるヨーロッパの習慣から発展したと思われる。11月2日の死者の日に、キリスト教徒は「魂のケーキ」(soul cake) ――干しぶどう入りの四角いパン――を乞いながら、村から村へと歩いた。物乞いをするときには、亡くなった親類の霊魂の天国への道を助けるためのお祈りをすると約束した。魂のケーキの分配は、サウィン祭のとき徘徊する幽霊に食べ物とワインを残す古代の風習に代わるものとして、キリスト教会によって奨励された。

ブルターニュ西部のケルト族の一部では、サウェン祭は、今でも「小さな角 (Kornigou) 」を焼くことにより予告される。「小さな角」は、あの世の王国へ戻るときに角を落とす冬の神を記念するため、枝角の形に焼かれたケーキである。

日本では夏がお化けの季節となっているが、北米ではハロウィンの時期が幽霊などの季節となっている。そこでこのハロウィンが近づくとホラー映画の公開やテレビでの放送が多くなる。

ジャックオーランタンの伝説 [編集]
その昔ウィルという、口は巧いが卑怯で素行も最悪な鍛冶屋の男がいた。彼は死後に死者の門へ着いたのだが、そこで聖ペテロ(天国へ行くか地獄へ行くかを選定する者)を騙し、 生き返った。しかし生き返った後も反省はせず、前の通り最悪な男のままだった。そのため、再び死後に死者の門を訪れた際、聖ペテロに「お前はもはや天国へ行くことも、地獄へ行くこともまかりならん」と言われ、暗い闇の中を漂うこととなった。それを見て哀れんだ悪魔は、地獄の劫火から轟々と燃える石炭を1つ取り、ウィルに明かりとして渡した。その明かりは時々、現世に種火のような弱い光を投げかける。それから、夜中に不思議な光が見えるとき、哀れなウィルの話になぞらえて「種火のウィル」「ウィル・オー・ザ・ウィスプ」と呼ぶようになった。ジャック(男、一般的な男性の名前)の角燈「ジャックオーランタン」ともよばれている。現在は、ナイトメアー・ビフォア・クリスマス等の影響でこちらの方が有名。多種多様な話、呼び名があるが、各教会ごとに脚色したり、本として出版するときに話が増えたのだろう。世界中にも不思議な光の話がある。

カツサン オーダー メルトン キートーン 市田柿 オーララ ミルク 総合山風 スズラン レングス もくず フリル ジスト カッター チュニジ 紅の空 ピンプリ 凪笛 蜃気楼 除の鐘 パトロール オーバー リンター ダイア ヒプノ フィート ズーム ミニコミ 総合大河 マシン トッシュ テトラード フラワー シーエス ラカイト フシグロ トラッ オパール ネービー リスク ザーボード ボエポン ダイジ マター スケール セクト アスン アサイン チューン アース

2009年03月28日

後期近代化と社会学の多様化

他方で、第一次世界大戦、第二次世界大戦の惨禍を眼前にしたヨーロッパ社会学では、理性信仰の崩壊とともに、西洋近代社会の構成原理そのものへの反省が生まれていた。そこで、機能主義の流れとは別に、ドイツでは、テオドール・アドルノやユルゲン・ハーバーマスに代表されるフランクフルト学派の批判理論、フランスでは、ルイ・アルチュセールらの構造主義的マルクス主義、ミシェル・フーコーの権力論が展開された。

これらの動きとともに、後期近代化への動きを背景として脱産業化論、紛争理論などが唱えられ、1960年代末には機能主義からの離反が決定的なものとなる。こうして、いわゆるミニ・パラダイム(この語法は本来は誤りである)の乱立と称される時代を迎える。以上の理論の他に、日常世界への着目から、シンボリック相互作用論、現象学的社会学、エスノメソドロジー、ピエール・ブルデューの社会学などが影響力を持つようになるとともに、ジェームズ・コールマンら方法論的個人主義の立場からは合理的選択理論なども唱えられるようになり、社会学が多様化し、研究対象となる領域も、たとえばジェンダーの社会学といった具合にさまざまに分化し拡大した。

ただし、この多様化によって、同時に社会学というディシプリン内部での対話の共通基盤が失われることにもなった。上述のような歴史的文脈が忘却されると、機能主義に対するカウンターとしての意義をもった諸ミニパラダイムは逆に混迷を深めた。一方で、(クーンが本来意図した意味での)パラダイム、すなわち経験的統計データに基づく調査研究は疑問視されることなく確立していったが、他方でかかる研究のよって立つべき思想・視点、つまりは社会学の独自性とは何なのかという問題が問われることにもなった。

政策科学への流れと新たな理論形成
そのなかで、1960年代にパーソンズのもとに留学し、ドイツに帰国後、社会学者として活動を開始したニクラス・ルーマンや、1990年代末以降の英国ブレア労働党政権のブレーンとして名を馳せたアンソニー・ギデンズらは、それぞれ異なった系譜からではあるが、上述の混迷状況を打開する理論的道筋をつけるとともに、政策科学としての社会学という立場を打ち出した。

たとえば、ルーマンの場合であれば、科学的にSollen(?すべき)を言わなければならない行政学の伝統を継承する形で社会システム論を展開し、また、構造化論を展開したギデンズの場合は、社会問題への関与を続けてきたイギリス社会学の伝統とリベラリズムの政治思想への関わりから、そうした方向性をとり、それぞれに反響を呼び起こした。
スチック プロパ セッター スロープ サブセ ソンソ キラウエ くるくる デイユース ニクロム ルーガル ドードー トリコロ マリン ハイチ キュー ナビユー ワンダラー カバレ ファイト さやえん カスミソウ グラフ ラードツ リング シンプル パイロー サイン ワーク ワイヤ スペルラ ファイラー スペアイト ナビドウ クトリン スープ ドット スイート 弥生姫 クレド タフネス ダーク フレーバ アッラー フロー リキッド クチュリ フォア ザンス ファイブ

また、政策科学への流れとともに、20世紀末になると、グローバル化、情報化、リスク社会化などを背景としつつ、社会構築主義の影響力が高まるなかで、構造化論、機能構造主義社会学も含め、従来の社会学における「社会」の自己再生産性の前提に対する疑義が高まり、「情報」や「メディア」、「移動」などを「社会」に代わるキー概念とした新たな理論構築も見られるようになっている

2009年03月13日

リューベック

リューベック(Lübeck) はドイツ連邦共和国の都市。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州に属する。バルト海に面する北ドイツの代表都市。かつてはハンザ同盟の盟主として繁栄を誇った。正式名称をハンザ都市リューベック(Die Hansestadt Lübeck)という。"Lübeck"の発音は、標準ドイツ語では/?ly?b?k/(リューベクに近い)のに対し、地元では/?ly?bek/(リューベックに近い)となる傾向がある。面積214.14平方キロメートル、人口214,338人(2003年末)。

バルト海南西部のリューベック湾に面する海港を有する港湾都市である。造船産業などでも繁栄した。約55キロ南西にハンブルク、60キロ北西にキール、55キロ南西にシュヴェリン、100キロ東にロストックが位置する。

1143年、ホルシュタイン伯のアドルフによって建設された。一旦火事で荒廃したものの、ザクセンのハインリヒ獅子公によって再建された。北海・バルト海交易で一時期独占的な地位を築いたハンザ同盟の盟主でもあった。リューベック商人は、ノルウェーのベルゲンに商館を築き、ノルウェーの鱈を南に売却して大きな利益をあげた。また、リューネブルクの岩塩をおさえたことで、塩漬け鰊(ニシン)でも独占的な地位を誇った。近世にはいると、ハンザ同盟の衰退とともに、リューベックも衰退していった。
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第二次世界大戦中は空襲を受け、戦後の冷戦期には西ドイツであったが、東西ドイツ国境のそばにあった。

トラベ川とトラベ運河に囲まれた島にある旧市街地は世界遺産に登録されている。

旧市街地の入り口のホルステン門(Holstentor)はユーロ導入以前の旧50ドイツマルク紙幣の図柄にも採用されている。 マルクト広場に面して黒レンガ造りの市庁舎がある。その隣にゴシック様式のマリエン教会がある。

なんといっても、トーマス・マンの故郷で、『ブッデンブローク家の人々』はこの町に住んだ彼の一族をそのままモデルにしたもの。生家は以前は銀行の支店だったこともあるが、現在ではマンの記念館になっている。

旧市街地は、運河が周囲に掘り巡らされていて、船での周遊が観光の目玉。古い船員組合の建物がレストランになっていて、大航海時代の巨大な帆船模型が天井から吊り下げられ、また壁面はさまざまな航海の様子を描いた油彩で飾られた中での魚料理はまた格別と評判。

トラヴェミュンデ [編集]
町の中心部から20kmほど離れたところに、トラヴェミュンデ(Travemünde)というバルト海に面した海水浴場がある。ドイツ有数のリゾート地として有名で、夏場は多くの海水浴客で賑わう。

2009年02月24日

ミノフスキー物理学

ミノフスキー物理学(ミノフスキーぶつりがく、Minovsky Physics)は、アニメ「ガンダムシリーズ」のうち、宇宙世紀及び未来世紀、正暦の世界観をもつ作品に登場する、架空の学問。架空の素粒子であるミノフスキー粒子の存在を前提としており、「ガンダムシリーズ」内の多くの技術はこの学問によって成り立っている。

ミノフスキー物理学の設定自体はそのほとんどがアニメ『機動戦士ガンダム』への後付け設定としてみのり書房発行の雑誌「月刊OUT」別冊『宇宙翔ける戦士達 ガンダムセンチュリー』に登場し、後に公式設定となったものである。

『機動戦士ガンダム』のSF設定を行った松崎健一によると、「ミノフスキー」という名称はガンダムシリーズ総監督の富野由悠季の名前をもじって、「富野さんが好きな粒子」→「トミノスキー」→「ミノフスキー」と名づけたという
ミノフスキー物理学仮説は、ロシア系スペースノイドであるジオン公国在住の物理学者トレノフ・Y・ミノフスキー(T・Y・ミノフスキー、Y・T・ミノフスキーと表記される事もある)博士が提唱した学説である。ミノフスキー粒子という素粒子の存在を仮定し、自然界の4つの力(重力、電磁力、強い力、弱い力)の統一場理論に決着をつけようとした仮説だった。

宇宙世紀0069年に博士自身がミノフスキー粒子を発見したことで証明され、以後、素粒子物理学の根幹となり、また宇宙世紀の技術には欠かせないものとなった。この物理学に与えた影響、あるいは軍事技術に与えた影響をミノフスキーショック(Minovsky Shock)と呼び、宇宙世紀最大の事件として大きな影を残すこととなった。

なお、ミノフスキー博士のミドルネーム "Y" はしばしば「イヨネスコのイニシャル」と誤解されるが、イヨネスコはミノフスキーの共同研究者であり別人の姓である。

歴史
トレノフ・Y・ミノフスキー博士によって発表された、後にミノフスキー物理学へと発展する仮説は、従来の物理学の全てを覆す新説で、当時の学会には到底容認できるものではなかった。発表当時、そもそもその前提となるミノフスキー粒子は発見されておらず、「宇宙世紀に復活したエーテル理論だ」と揶揄され、ミノフスキー博士は学会を追放された。

ミノフスキー博士は、当時からサイド3の住人だったとする説と、サイド4に居を構えていたとする説がある。どちらにしろ、この仮説に目をつけたデギン・ソド・ザビの手引きによって研究の場はサイド3となった。宇宙世紀0045年にミノフスキー物理学会(ミノフスキーぶつりがっかい、Minovsky Physical Society)を立ち上げた。宇宙世紀0047年にはミノフスキー物理学会を発展解消して、共同研究者のイヨネスコ博士と共にM&Y社(エムアンドワイしゃ、M&Y Company)を設立。ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉の研究・開発を行い、ミノフスキー粒子の発見と熱核反応炉の実用化に努めた。なお、ミノフスキー物理学会は発展解消以降も存続していたようである。

宇宙世紀0065年、ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉の実験中、熱核融合炉内にて特殊な電磁波効果を発見。追試をおこなったがこれは非公開とされた。宇宙世紀0069年にはついにミノフスキー粒子の存在に関する公開確証実験に成功し、ミノフスキー物理学が証明された。宇宙世紀0070年3月には宇宙空間でのミノフスキー粒子散布下における電磁波妨害をはじめとする、「ミノフスキー効果」と呼ばれるさまざまな特殊効果の公開確証実験に成功し、宇宙世紀0070年5月にはメガ粒子砲までをも完成させた。しかし、この頃になるとミノフスキー博士は軍国主義の旗色濃いジオンにおいて、戦争へ利用されることを恐れ、宇宙世紀0072年に地球連邦政府へ亡命。これらの技術は連邦側へも伝わることとなる。

宇宙世紀0071年、ジオン公国軍は2年間をかけてミノフスキー粒子散布下における新型兵器を開発するよう各企業に命令を出し、宇宙世紀0073年、ジオニック社の新型兵器・モビルスーツ1号機クラブマンが完成した。翌宇宙世紀0074には初の制式量産モビルスーツ・ザクIが完成し、宇宙世紀0079年の一年戦争を迎えることになる。一方、地球連邦軍ではミノフスキー博士を中心にエネルギーCAPの開発を行い、ジオン公国に先んじてビームライフル及びビームサーベルを完成させた。

一年戦争勃発後、ミノフスキー博士は軍事研究から退き、光子とミノフスキー粒子との統一の研究に没頭したといわれるが、詳細は不明である。そもそも、ミノフスキー博士は宇宙世紀0072年の亡命に失敗して死亡したとする説もあり、詳しい経歴が語られていないのが現状である。

一年戦争後もミノフスキー物理学の研究は進められ、宇宙世紀の科学におけるもう一つの柱であるニュータイプの研究と相まって、さまざまな新型兵器が開発された。しかし、その発展も宇宙世紀の崩壊とともに幕を閉じることとなる。

正暦時代に伝えられる黒歴史によれば、未来世紀時代に復活してIフィールドビーム駆動など新たな技術が確立され再び全盛を迎えるが、第7世代ミノフスキー物理理論による対モビルスーツ無力化兵器を搭載したモビルアーマー・ウォドムの登場により再び姿を消すこととなった。しかし、∀ガンダムやスモーが開発された時代において、過去の技術がある程度取り戻されるとともに復活したとされている。
マニャック フォーク 苺姫 夕べの鐘 オロシ メイド セル チウム スケート オカラヌス ジャグ スマイル 平安夢 リッジ ブング トランプ クション カセット スピリ ラフォーン シーダ トリプル ビロード ウエルト リング ネゲブ あかぼり ピグミー ラッフル シンカー リスク だいふく マシン バルク フリスビー キエフ ミルミル マルキ タッチ セグメント ネブラス セニョー ハマス とりゅふ アップ リヤス ラピス べにかば メモ スキーデ

設定の変遷
『機動戦士ガンダム』放送当初は、いわゆる「巨大ロボットプロレス」に科学的裏付けを与えるための、単にレーダーを妨害する粒子というチャフのようなイメージでミノフスキー粒子が設定されたのみだった。設定の広がるきっかけとなったのは、ホワイトベースの大気圏突入後の飛行能力である。とても揚力や推進力で飛行できるような形態ではないホワイトベースが、重力下で飛行するための設定が、その段階では考案されていなかった。当時、設定担当で脚本家でもあったスタジオぬえの松崎健一はこの第5話の展開について聞かされておらず、「なんてことしてくれたのよ」と監督に電話で文句を言ったという。しかし既に放映されてしまっていたため、後付けで考案されたのがミノフスキークラフトによる重力制御飛行である。そこからミノフスキー物理学の設定が膨らんでいき、『ガンダムセンチュリー』で詳しく語られることとなる。

Iフィールドについては、当初からこの名前で語られていたものではなく、元々は対ビームバリアーや単にビームバリアー、ビーム偏向フィールドなどと呼ばれていた。実際にIフィールドという名前で語られるようになったのも『ガンダムセンチュリー』からで、作品中に名称が登場したのは1989年の模型誌の連載記事『ガンダム・センチネル』からである。また、元々は「磁力バリアー」という設定であり、ミノフスキー粒子によるバリアーという設定は一時期、完全に公式設定にはなっている訳ではなかったため、サイコガンダムなどについても「磁力バリアー」とする記述が多かった。そして1991年の『機動戦士ガンダム0083』でIフィールドによるビームバリアが描かれ、映像作品に使われたことにより公式の設定となった。

メガ粒子については、『機動戦士ガンダム』放送時は「重金属粒子」という設定であり、ビームサーベルも同じく重金属粒子を振動させたものという設定だった。『ガンダムセンチュリー』においてミノフスキー粒子を縮退したものという設定が作られたが、重金属粒子とする設定は小説『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』第1巻やアニメ『∀ガンダム』、小説『ガイア・ギア』などにも見られ、現在でも完全に死んだ設定という訳ではない。縮退については関連リンクの「メガ粒子砲 - ガンダム入門塾」も参照の事。

『機動武闘伝Gガンダム』をはじめとする未来世紀の世界観においては、世界観が異なるためミノフスキー粒子という名の物質は存在しないが、よく似た素粒子は発見されているといわれ、熱核反応炉やビームの制御に使われているとされていた。これは後に、『∀ガンダム』の黒歴史において、未来世紀には一時期ミノフスキー物理学の盛んな時代があったと補完されている。

また、『機動新世紀ガンダムX』のアフターウォーの世界観では、同じく世界観は異なり、ミノフスキー粒子は存在しないものの、「戦時に捲かれた妙なモノ」のためにレーダー等が使いづらいという台詞が、本編で僅かだがある。

ミノフスキー粒子
ミノフスキー粒子(ミノフスキーりゅうし、Minovsky Particle)は、『機動戦士ガンダム』より登場する、ミノフスキー物理学の根幹を成す素粒子の一種である。宇宙世紀0069年、ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉内にて発見された。

ミノフスキー粒子は性質として、静止質量がほとんどゼロで、極めて強力な帯電性質を有する。また、一定濃度において立体格子状に整列する性質を持っている。そのためミノフスキー粒子が散布された空間では、ミノフスキー粒子より大きい物質を通さない性質がある。これをミノフスキー効果と呼び、モビルスーツの誕生、はては一年戦争勃発の遠因となった。

サイコミュやミノフスキー通信などを介することで、これらのシステムの周囲のミノフスキー粒子はニュータイプの特殊な脳波である感応波(サイコウェーブ)と共鳴するような作用をしているともいえる。ただし、実質的には研究段階であり、詳しいことは分かっていない。一説によれば、第二次ネオ・ジオン抗争においてアクシズの落下を防いだのは、地球全体に漂うミノフスキー粒子がサイコフレームを通じることでアムロ・レイの感応波に共鳴し、巨大なIフィールドを発生させたためだといわれている。

ミノフスキー効果
ミノフスキー効果(ミノフスキーこうか、Minovsky Effect)は、ミノフスキー粒子の主要な性質の総称である。宇宙世紀0065年、ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉の実験中にこの電磁波障害効果が発見され、後のミノフスキー粒子の発見につながった。

ミノフスキー粒子が散布された空間では電波(マイクロ波?超長波)、一部の可視光線、赤外線は伝わることができない。このため、従来の電波による交信や、レーダー、センサーの多くが使用不能となり、長距離誘導をなされるミサイルの誘導が不可能となってしまい、有視界下における戦闘を余儀なくされることとなる。なお一説には「一部の可視光線」とは赤を指し、シャア・アズナブルのパーソナルカラーが赤だったのもこのことからとも言われる。

「従来の電波による交信ができなくなる」という割にはガンダムシリーズの劇中で接触回線を使わずとも普通に通信しているシーンが多く見受けられるが、これは#設定の変遷で先に述べたとおり、スタッフが当初ミノフスキー粒子をチャフのようなイメージとして捉えられていたからである。もっともミノフスキー効果はその濃度によって変わってくるため、レーダーは阻害されるが無線通信は可能、というケースも充分考えられる。林譲治によるゲーム作品のノベライズ版ではレーザー通信がしばしば登場する。

モビルスーツ搭載などの短距離誘導のミサイルはこれに該当しない。また、電子スチルカメラの撮影にも影響が出るため、この時代には一部の好事家のみが使用していたフィルムカメラが数世紀ぶりに活躍するようになった。ビデオの場合も同様で、VHSのようなアナログビデオテープが復活している。なおこれは放送当時、電子スチルカメラが無かったための後付け設定である。

また、一部の電子機器に対する障害も発見されたが、これはさほど深刻なものではなかったようである。一説によればミサイルなどが使用不可能になったのはこの影響とされる。一年戦争時には念のために有線の通信装置を使用したり、前時代的な通信ソケットが使われたりもした。

Iフィールド
Iフィールド(アイフィールド、I-Field)は、『機動戦士ガンダム』への後付け設定として『ガンダムセンチュリー』より登場する、ミノフスキー粒子の性質の一種。

ミノフスキー粒子は正負に荷電する一方、粒子間にΤフォース(タウフォース, Τ-Force)と呼ばれる斥力を生じ、一定濃度において立体格子状に整列する性質を持っており、これによって生じた場をIフィールドと呼ぶ。また、この斥力による効果をミノフスキーエフェクト(Minovsky Effect)と呼ぶ。

Iフィールドはミノフスキー粒子に作用し、更に圧縮することによって生じる縮退によってメガ粒子を生じさせる。また、Iフィールドはミノフスキー粒子と同様、メガ粒子にも作用する。

Iフィールドを応用した技術は枚挙にいとまがない。モビルスーツに搭載されているミノフスキー・イヨネスコ型核融合炉はIフィールドによって小型化の実現が可能となった。また、メガ粒子砲やビームライフルはIフィールドによって生じたメガ粒子を偏向し、発射するものである。ビームサーベルは縮退寸前の高エネルギー状態のミノフスキー粒子をIフィールドによって収束させ、ビーム状の刀身を形成させるものである。ミノフスキー干渉波(ミノフスキーかんしょうは、Minovsky Interference Wave)による索敵は、Iフィールド内に導電性物質が存在するとき、これが乱れることを応用した技術である。

また、ミノフスキークラフト、ミノフスキードライブはいずれもIフィールドを応用したシステムであり、駆動システムであるIフィールドビーム駆動はこれらを発展させたものである。その他、フィールドモーター駆動などIフィールドは宇宙世紀の技術開発に大きく貢献した。

メガ粒子
メガ粒子(Mega Particle)は、『機動戦士ガンダム』より登場する、ミノフスキー粒子の性質の一種。設定自体は『ガンダムセンチュリー』による後付けである。

正と負の電荷を帯びたミノフスキー粒子を強力なIフィールドで圧縮し、縮退、融合させる事で生成された粒子をメガ粒子と呼ぶ。その際に質量欠損が起こり、一部が運動エネルギーに変化する。これを一定まで蓄積させて打ち出す強力なビーム砲がメガ粒子砲である。

2009年02月08日

日米関係史

日米関係史(にちべいかんけいし 英:Japanese-American historical relations)では、日本とアメリカ合衆国の二国間関係の歴史について述べる。時間軸としては19世紀以降となる。両国は、アメリカの領土の拡大とフロンティア消滅以後、時に強圧的に、時に協力的に歩み現在に至る。
リーゼント ミニスト 検索うり きえいよこ マンテ コニャック デュレ ピッコロ サイレン ブリストル カレワラ タワー国内 システ はけご フィット 砂時計 ドレート シェフレラ リラキ 純潔 プランナ モダニスト オフサイド サステナ チリソース フクシア ブルー タグボ ゴスペル ラシャ テキント ファロス うばざくら パンドラ エレガ チャネリ オート 紅梅 チキク イオ次 ブラック ドアチェーン パドル ローラシ かいこう 亀王 クロノ タックル マンス インワン

日本と米国との関係が生じるのは、1837年(天保8年)に米国船・モリソン号が、日本の漂流民を届けに来たときからである。このときは日本は異国船打ち払い令に基づき同船を追い返したが、太平洋航路の確立を急ぐ米国は、1846年(弘化3年)にも開国を要求するためにジェームズ・ビッドルを浦賀に派遣したが、日本は拒否した。

1853年(嘉永6年)、アメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーは、米国大統領フィルモアの国書を幕府にもたらすために、軍艦4隻を率いて浦賀に来航した(黒船来航)。国書を受け取った幕府は、その回答を翌年に行うこととし、ペリーは一旦琉球へと去った。幕府はこれを朝廷に伝え、その後諸大名に国書を示し意見を問うた。当時、外交などに諸大名が口出しをすることはなく、異例のことである。幕府の困惑ぶりを示すものといえるが、かかる来航には何も予告が無かったわけではない。すでに前年の1852年(嘉永5年)にオランダ商館長クルチウスが東インド総督の来航を告げていた。幕府は、この告知を無視していた。

ペリーによる黒船の来航にあたり、「泰平の眠りをさます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず 」のような狂歌が流行る。

翌1854年(嘉永7年)1月16日、ペリーが再度7隻の軍艦を率い再び神奈川沖に来泊。2月10日には、林復斎らと交渉が開始された。幕府は漂流民保護・薪水食給与などを承認、通商については決し難き旨を回答した。3月3日、日米和親条約(神奈川条約)が締結され、日本は、下田・箱館の2港を開港した(1855年(安政2年)下田で条約批准)。

江戸時代後期(天保・弘化年間)
上記ではあくまで一般論を述べた。この章では国と国とのつながりはないがアメリカとの関係を年表形式で並べておく。

1841年(天保12年)6月 - 中村万次郎、太平洋を漂流しアメリカ船に救われる。
1845年(弘化2年)3月 - アメリカ捕鯨船、漂流民を護送し浦賀に来航。
1846年(弘化3年)5月 - アメリカ捕鯨船員の7名、択捉島に漂着する。
1846年(弘化3年)閏5月 - アメリカ東インド艦隊司令官ジェームズ・ビッドル、浦賀に来航し通商を求める。幕府、拒絶する。
1848年(嘉永元年)5月 - アメリカ捕鯨船、西蝦夷地に漂着。幕府、乗員を長崎に護送する。
1849年(嘉永2年)3月 - アメリカ軍艦プレブル号長崎に来航し、漂流民ラナルド・マクドナルドを受け取り退去する。
1849年(嘉永2年)6月 - アメリカ捕鯨船員の3名、樺太島に上陸する。
1851年(嘉永4年)1月 - 土佐漁民中浜万次郎ら、アメリカ船に送られて琉球に上陸する。

江戸時代後期(幕末)-日米修好通商条約締結-
1855年(安政2年)、幕府は朝廷に条約締結の事情(英・米・露国、各国との条約締結)を具陳する。先の条約の要綱どおり米国は、1856年(安政3年)10月21日に駐日総領事ハリスを下田に来航させる。27日にはハリスが下田奉行に対し、通商の自由・通貨交換比率の取り決めを要求する。之に対し翌年5月26日下田条約(日米条約)を締結する。その後、10月21日にはハリス、江戸城に登城し、将軍に米大統領ピアースの親書を提出することになる。之に対し登城反対の旨が諸大名などから老中に提出されたようだが結局登城となった。11月1日には、この親書・ハリスの口上書の写しを諸大名に示し、意見を求め、諸大名は意見を上申。12月2日、老中、ハリスを招き通商貿易と公使の江戸駐在を許可。11日には幕府全権の井上清直(下田奉行)、岩瀬忠震(目付)とハリスとの間で日米修好通商条約の交渉を開始することとなる。13日には幕府がこの条約を締結すべき旨を朝廷に伝える。1858年(安政5年)1月5日、幕府は勅許奏請のため、条約調印の60日延期をハリスに伝える。8日、堀田正睦勅許奏請のため京都に赴く(翌日参内)。3月20日、天皇は条約調印拒否の勅答を正睦に与える。その後、幕府は再び勅書を諸大名に示し、意見を聞く。6月19日、井上、岩瀬の両名は神奈川沖のポウハタン号でハリスと日米修好通商条約及び貿易章程に調印。これが(安政の五カ国条約)の最初となる。

12月30日、老中間部詮勝参内し条約調印了解の勅諚を受ける。そして1860年(安政7年)には二つの日本人グループがアメリカに上陸する。1月13日に咸臨丸で軍艦奉行木村喜毅・軍艦操練所教授勝海舟らが米国に向かい2月26日にサンフランシスコ港に入港。1月18日には、遣米特使外国奉行新見正興・村垣範正・目付小栗忠順ら米艦で出航。万延元年(1860年だが閏3月に改元された)閏3月28日、米大統領カナブンと会見。条約批准。

明治時代初頭-岩倉使節団-
積極的に関係を結ぼうと、使者を送ってきたり軍艦を引き連れてきたりしていたアメリカであったが、日米修好通商条約の締結・批准後、下関戦争などの長州藩と四国艦隊(アメリカを含む)との攻防などはあったが、積極的な関係は一時途絶える。理由としては下記の二つが挙げられる。

アメリカ南北戦争(1861?1865)
日本の明治維新(1868)
しかし、この時期が過ぎ明治政府が成立すると、先の不平等条約を撤廃しようと日本側は動き始める。その第一陣的なものとなるのが、岩倉使節団である。1872年(明治5年)1月25日、岩倉具視は米大統領グラントに謁見する。

明治時代-条約改正問題-
使節団の後一旦、1878年(明治11年)には日米条約・協定を修正し日本の関税自主権を認める約書に調印、批准されるが、施行されず。1886年(明治19年)、外相の井上馨が各国公使と第一回条約改正会議を開く。が、不調に終わる。1911年(明治44年)、ついに日米通商航海条約改正というかたちで関税自主権を回復し、不平等条約の撤廃に成功した(ちなみに既に治外法権は1899年、日米通商航海条約締結により撤廃済み)。

明治時代-日露戦争講和-
上記と時期は前後するが、1904年(明治37年)日露戦争が勃発する。これは、朝鮮・満州などに関しお互いの利益が絡んだためである。日本は前段階として1902年(明治35年)には日英同盟を結び、三国干渉後臥薪嘗胆し、このときを待っていた。勝敗は日本優勢であった。遼陽会戦・奉天会戦で勝利し、日本海海戦でも勝利した。ここで、日本は米大統領に日露講和の友誼的斡旋を希望する。そこで米大統領ルーズベルト、日露両国に講和を勧告し両国は受諾する。そしてその会議をポーツマスで開きポーツマス条約を締結する。だが、日本国内ではこの条約締結に対し非難が相次いだ(日比谷焼き討ち事件など)。主な理由としては日本側(と言うより日本国民)が、この戦争には勝ったと考えていたからである(実際に勝利と定義できるかはここでは触れないで置く)。また、条約には賠償金の規定がなく、そのことに対し怒った民衆が騒擾化した。

明治時代(末期)-排日移民問題-
1906年(明治39年)、サンフランシスコ市の学務局が、日本人学童の隔離を命令した。これは排日移民行動なるものの皮切りと言われる。アメリカ合衆国の移民全面停止措置を唯一免れていた日本(当時アジアで唯一の先進国であったため?)が、州レベルでついに実行されることとなった(これは当時のルーズベルト大統領の異例の介入で翌年撤回となる)。この後、翌年には、アメリカ駐日大使が日本人労働者移民の渡航制限を要請してくる(これは日米紳士協約第一号と呼ばれる)。

明治時代(末期)
1908年(明治41年)10月 - グレート・ホワイト・フリートの日本訪問と世界一周。
1908年(明治41年)11月 - 高平・ルート協定締結(太平洋方面に関する交換公文)。
1909年(明治42年)12月 - 米国、満州における鉄道中立化案を提案。
1910年(明治43年)1月 - 日・露両国、米国の満州鉄道中立化案に不同意と回答。

大正時代-第一次世界大戦・ヴェルサイユ体制・ワシントン体制-
1914年(大正3年)、日本はイギリスの要請により(日英同盟による)、参戦を表明しドイツに宣戦布告する。翌年には中国に対し対華21ヶ条要求を提出する。これに対し、米国務長官ブライアン、一部に不同意の覚書を日本側に手渡す。終戦間際の1918年(大正7年)にはアメリカがチェコ軍救済のためウラジオストクへの日米共同出兵を提議し日本は了承する(シベリア出兵開始)。また、同年11月にはアメリカより日本のシベリアへの出兵数・シベリア鉄道占領の件で抗議を受ける。戦後1919年(大正8年)、アメリカ大統領ウィルソンが提唱した理念に基づいてパリ講和会議が開催される(日本全権は、西園寺公望・牧野伸顕ら)。同年2月には国際連盟規約委員会で日本代表、人種的差別待遇撤廃案を提案する。五月には講和会議、山東省のドイツ利権に関する日本の承認を了承し、また赤道以北旧ドイツ領南洋諸島の委任統治国を日本に決定。翌年、中国借款を日英米仏で成功させる。1921年(大正10年)にはワシントン会議が開かれ、日本・アメリカを含む九ヶ国が出席した。その中で、四カ国条約、九カ国条約などをそれぞれ締結。

昭和時代-世界恐慌・第二次世界大戦-
1929年(昭和4年)10月、アメリカで世界恐慌が起こる。翌年には日本にも影響は波及し多大な影響を受け生糸などの価格が崩落した。この不況状態は1932年(昭和7年)ごろまで続く。1939年(昭和14年)(開始の説は多々あるが、それは置いておく)、第二次世界大戦が勃発。日本とアメリカは当初は直接的には敵対はしていなかった(開戦当初はアメリカは中立の姿勢であったため)。しかし日本は1941年(昭和16年)、アメリカ等による石油の禁輸政策の後、かの有名な真珠湾攻撃に出る。その結果アメリカは即座に参戦表明し枢軸国側に対し宣戦布告した。これは奇襲作戦であり、本来宣戦布告後攻撃とならねばならないところ、そうしなかったので後に非難を受けることとなる(現在外務省は、大使館の不手際によるミスということでその事実を公的に認めている。真珠湾攻撃#宣戦布告遅延問題参照)。翌年のミッドウェー海戦・ガダルカナル島の陥落と続き日本は圧倒的に不利な状態に陥っていく。そして1945年(昭和20年)8月6日、アメリカ軍による広島への原爆投下、8月9日の長崎への原爆投下を経て、ついに日本は8月14日ポツダム宣言受諾を決定する。

2009年01月23日

ロックマンエグゼ (アニメ)

第1シリーズ『ロックマンエグゼ』は毎週月曜日18:30?19:00に放送された。

その後半年の休止を挟んだ後、毎週土曜日8:30?9:00の時間帯で第2シリーズ『ロックマンエグゼAXESS』( - アクセス)、第3シリーズ『ロックマンエグゼStream』( - ストリーム)、第4シリーズ『ロックマンエグゼBEAST』( - ビースト)が放送。

第5シリーズ『ロックマンエグゼBEAST+』( - ビーストプラス)はそれまでの30分放送とは異なり、同時間帯に放送される『おはコロシアム』内の短編アニメ(10分番組)として放送された。

第2シリーズ以降の詳細については、下記のリンク先を参照。

ロックマンエグゼ
放送期間:2002年3月4日?2003年3月31日(全56話)
ロックマンエグゼAXESS
放送期間:2003年10月4日?2004年9月25日(全51話)
ロックマンエグゼStream
放送期間:2004年10月2日?2005年9月24日(全51話)
ロックマンエグゼBEAST
放送期間:2005年10月1日?2006年4月1日(全25話)
ロックマンエグゼBEAST+
放送期間:2006年4月8日?2006年9月30日(全26話)

ストーリー
高度に電子化された近未来の世界。全ての人々がPET(PErsonal Terminal)と呼ばれる携帯情報端末を持ち、そこに組み込まれた擬似人格型プログラム「ネットナビ」のサポートによって日常生活を送っていた。しかし、ネットワークの高度化によってネット犯罪も増加し、ネット犯罪集団のばらまいたウイルスによる被害が身近なものとなっていた。

主人公の光熱斗は、父より贈られたネットナビ「ロックマン」と共に、ウイルス退治(ウイルスバスティング)を行い、ネット犯罪集団に立ち向かっていく。

物語の前半(1?25話)は、ゲーム第1作目『バトルネットワーク ロックマンエグゼ』に登場する組織、WWW(ワールドスリー)の対決を、後半(26話?56話)は第2作『バトルネットワーク ロックマンエグゼ2』に登場する組織、ゴスペルとの対決を描く。このシリーズのみストーリーの前半と後半がそれぞれ「ファーストエリア」「セカンドエリア」と呼び分けられている。

登場人物
第1作『ロックマンエグゼ』に登場した者のみを挙げる。以降の作品に登場した人物、ナビ等については、各シリーズのページを参照。

なお、以下では、ロックマンエグゼAXESS=『AXESS』、ロックマンエグゼStream=『Stream』、ロックマンエグゼBEAST=『BEAST』、ロックマンエグゼBEAST+=『BEAST+』と表記する。

インキャラクター+ナビ
光熱斗(ひかり ねっと)
声:比嘉久美子
主人公。秋原小学校5年生(『AXESS』から6年生)。勉強は苦手だが、ウイルスバスティングの才能はピカイチ!明るい性格。ロックマンとは強い絆で結ばれている。カレーや完熟マンゴーが大好物。『AXESS』にてクロスフュージョンの能力を身につけたことで、ネット社会の平和を守るネットセイバーに任命される。『Stream』ではデューオの紋章を持つ、13人のクロスフュージョンメンバーの一人となる。
ロックマン
声:木村亜希子
熱斗のナビ。青いボディカラーが特徴。生真面目な性格で、熱斗と同じで恋には鈍い。何故か幽霊が苦手。主な攻撃方法はロックバスターと転送されるバトルチップ。特殊なナビで、何らかのきっかけによりスタイルチェンジ、ソウルユニゾン、獣化といった様々な能力が発現する。その力の詳しい部分は解明されていない。
桜井メイル(さくらい メイル)
声:水橋かおり
熱斗の幼なじみ。優しい性格で頭もいい。が、ごくまれに暴走する事も。熱斗のことが好きだが、なかなか素直になれない。『Stream』ではデューオの紋章を持つ、13人のクロスフュージョンメンバーの一人となる。
ロール
声:城雅子
メイルのナビ。戦いはあまり得意ではない。ロックマンに恋をし、メディをライバル視。
伊集院炎山(いじゅういん えんざん)
声:斎賀みつき
熱斗の友人にしてライバル。オペレートの腕はまさに天才的。弱冠12歳にして巨大企業IPC(伊集院PETカンパニー)の副社長にしてネットセイバー。最初はクールで二枚目のキャラクターだったが、熱斗と行動を共にするようになって以来、妙に不幸な目にあっている。また(主にラウルとの)捜査上の変装で、奇抜なアフロ姿になる事も。『Stream』ではデューオの紋章を持つ、13人のクロスフュージョンメンバーの一人となる。
ブルース
声:松風雅也
シンジケ ビシー リング 毬つき パイラ ハート ピーフォ プロフ たらのき ドロー サバラン かっぽう レッドベ カード シップ バーディ デシジョン たらのき キャスク レザー ギブアン デコーダ トップ パパイヤ バイオレ オロジー テルミン テンレポ カクタス モスク もくず ミシンポ ワンコイン フォルシェ ブルガリア トロント ルーメン タウン オーソス シライド おにしま レーサコテ ファイン パワー バカロ ショーツ メニュー ヤングリ マイカー ふとう

炎山の持ちナビ。幼いころに父親から貰ったナビで、彼と同じく常にクールな剣士。一時期ダークロイド化したが、紆余曲折の末元に戻る。炎山のナビである事を誇りに思っている。ロックマンと対照的に赤いボディカラーが特徴。またバイザーで目を隠し、その素顔は明らかになっていない。
大山デカオ(おおやま デカオ)
声:沼田祐介
熱斗の友達。体は大きいが気は意外と小さい。熱斗をライバル視しているが、オペレートは熱斗に比べてイマイチ。惚れっぽい性格。『AXESS』でMaha二番でのアルバイトを経て、『Stream』以降はMaha一番´(ダッシュ)の厨房を任されている。お尻の右側にスペースシャトル型のアザがある(らしい)。
ガッツマン
声:下山吉光
デカオの持ちナビ。力が強いが頭は弱い。口癖は「?でガッツ」「?でガス」。
綾小路やいと(あやのこうじ - )
声:芳野日向子
ガブゴン社の社長令嬢。熱斗たちより年下だが、飛び級して熱斗と同じクラスに在席。『AXESS』からキングランドに留学していたが、『BEAST』では再び秋原小学校に戻ってくる。伊集院家とは江戸時代からの腐れ縁。常にオデコが眩しく光り輝いている。
グライド
声:川津泰彦
やいとの持ちナビ。分析力に優れ、身の回りの世話を任されている執事的存在。彼女の行動に振り回される事多数。
氷川透(ひかわ とおる)
声:渡辺久美子
熱斗の友達。物事を冷静に判断し、冷めた視点で何かと突っ込むことが多い。温泉部部長。
アイスマン
声:野田順子
透が使うお子ちゃまナビ。雪や氷を操るのが得意。同じ水属性のアクアマンとバブルマンとは友達同士で、仲がいい。最初は透の父親と共同で使われていたが現在は透専用のナビになっている模様(『エグゼ』35話では、彼のコピーらしきナビが代わりに水道局の電脳世界に存在している様子が確認できる)。
日暮闇太郎(ひぐれ やみたろう)
声:うえだゆうじ
ヒグレヤと言う店でバトルチップを販売している。語尾に「?でマス」とつけるのが特徴。まりこに恋している。マサとは恋敵。またN1グランプリでは選手としてのみならず、試合の解説役も務める。
ナンバーマン
声:うえだゆうじ
日暮闇太郎の計算型ナビ。
大園まりこ先生(おおぞの - )
声:日高のり子
熱斗のクラスの美人教師。明るい性格。テニス部顧問、兼温泉部顧問。他にもSF映画ファンの名誉会員(劇場版で判明)など、多彩な趣味を持つ。
名人(めいじん)
声:藤原啓治
科学省で働いているが、科学省の人間ではないらしい(?)。最初は熱斗達が危機に陥ったときどこからともなく現れる謎の人物だった。本来「さん」をつけることは不要だが、熱斗には事あるごとに「名人さん」と呼ばれ、その度に「さんはいらない」と応えるのが定番となっている。ミニカーなどの食玩を集めている。着ているシャツには「16」?「18」とシリーズ(厳密には放送された年)ごとに異なる数字が書かれているが、これは初代ロックマンのゲームが発売されて何周年目かを示している(初代ロックマンがファミコンで登場したのは1987年12月17日)。また『BEAST』にて衣装がリニューアルした。
光祐一朗(ひかり ゆういちろう)
声:永野広一→川島得愛(『Stream』以降)
熱斗の父親で科学者。ネットナビの産みの親でもあり、科学省で日夜研究を続けている。『エグゼ(無印)』では冒険家として様々な国を探検していた。色々な事を知っているので、悪者に狙われた事も多数。劇場版では、誘拐された彼を熱斗が救い出すという流れになっている。
光はる香(ひかり はるか)
声:城雅子
熱斗の母親。料理がとても上手。熱斗と祐一朗がいない間、光家を守っている。天然っぽい印象を受けるが、大きなトラブルが発生しても冷静に熱斗や、夫を信じてサポートするその冷静な態度をみていると、実はかなりの大物かもしれない。

2009年01月16日

日の民族

ユーロ ドラゴン セカンド ナビラッコ バリヤ サーチ天延 セスカーナ ユッカ 京いも パレス レオタガ オマーン フライト リポジ ピンク チャコール サドルシ ライト じゃじゃん シキミ エッジ カチュ クロロ 学園天国 ソワレ ダイレーザ ハンサム シート ニアピン ロハス ラナン ソコン かすかわ 星のフラ シューズ フーズ トレーサー ターピース ルカラー 天羽 シャープ パオトウ くずまき マミー スウェ フォトカ そけい メトニミ フランス スリーエム

大空阿闍梨(たいくう あじゃり)
四天王や金剛兄弟に命じて「ヤマタイカ」阻止を図る、日の民族の守護者たる高位の仏僧。東大寺を本拠とする。
持国(じこく)
四天王の一人。念動力を使う。宇佐での戦いで、卑弥呼が憑依した神子に空中に飛ばされ、落下して死亡。
増長(ぞうちょう)
四天王の一人。怪力の巨漢。山鹿・阿蘇での戦いでいずれも重傷を負うがその都度復活。神子に対する憎悪は理性を失うほどで、執拗に襲いかかるが、東大寺での戦いで岳彦の操るオモイマツカネにより大仏殿の屋根から落とされ、とどめに首の骨を折られて死亡。
広目(こうもく)
四天王の一人。サイコメトリー能力を持つ。他の四天王から能力を引き継ぐ「法力転譲来」により、物語後半には1人で4人分の能力を備えたばかりか、草薙剣(天叢雲剣)など三種の神器を手に入れ、日本武尊の霊力をもって神子に挑む。またオモイカネに対抗する巨大鉄鐸「オモイクロガネ」を造り、オモイカネの力を封じる。ヤマト艦上での最終決戦において岳彦から致命傷を与えられるが、最後の力で神子を抱きしめ、自分の体に刺さっていた剣で彼女を突き刺し絶命する。
多聞(たもん)
四天王の一人。弘法大師が会得したという真言の速読記憶術「虚空蔵求問持法」により、コンピュータ並みのデータ処理能力を持つ。またその法力は強大で、東大寺の戦いでは呪法の最終兵器「不動明王呪」を発動し、大仏を動かして神子たちを襲う。大仏殿炎上に伴い死亡。
金剛阿、金剛吽(こんごうあ、こんごううん)
大空阿闍梨の命を受け、真言の僧兵を率いて神子一行に立ち向かう。普段は高野山を本拠としている。大空阿闍梨からの信頼は四天王よりも厚いらしく、四天王にも知らされない日の民族の秘密を知っていた。伊勢朝熊山での戦いで神子を追い詰めるが、綾門らの働きにより敗れる。
日光尼、月光尼(にっこうに、げっこうに)
東大寺の中門を守る二人の尼僧。催眠効果のある香を焚き神子を苦しめるが、意識を取り戻した神子に無力化される。

その他
菊池鉄吉(きくち てつきち)
阿蘇中岳の立入禁止区域に、勝手に集落を作って生活していたホームレス集団のリーダー格。神子の一行と出会い、「ヤマタイカ」に自身の人生観に通じるものを感じて協力、群衆を巻き込みながら北上する。
神(じん)
陸上自衛隊の二佐。師団長不在の第9師団司令部(青森)で、ねぶたの群衆が「ヤマタイカ」と化して南下するのを阻止するよう総監部から命令される。戦車隊を率いて出動するが、自国民を殺傷することを嫌って反抗し、岳彦たちを助ける。
ライアン博士
アメリカ合衆国の女性科学者。半物質化したヤマトを無力化するため、軍に「電磁場ジェネレーター」建造を指示。それを搭載した空母「ユナイテッド・ステイツ」に自ら乗艦してヤマトに迫る。
藤原(ふじわら)
日本の総理大臣。戦後50年かけて再建してきた「権威と権力と管理主義の日本」を再びぶちこわす「ヤマタイカ」を嫌い、自衛隊を動かすなどして阻止を図る。日の民族を象徴する人物。